2026年6月15日(月)号

ドーン中銀総裁補「通貨危機リスク低い」=構造改革の必要性強調

 タイ中央銀行のドーン・ナコンタップ総裁補[=写真]は、4月の経常収支が過去最大となる76億㌦の赤字を記録したことについて、タイがインドネシアのような通貨危機に陥る可能性は低いとの見解を示している。一方で、タイ経済を支えてきた高水準の経常黒字時代は終わりつつあるとして、中長期的な構造改革の必要性を指摘した。


 ドーン氏は自身のFacebookで「タイの経常収支はどの程度懸念すべきか」と題する見解を公表した。4月の経常収支赤字は過去最大を記録し、従来の記録を大幅に更新した。このため市場では、1997年のアジア通貨危機の再来や、足元で通貨安圧力に直面しているインドネシアと同様の状況に陥るのではないかとの懸念が広がっている。
 ドーン氏は、経常収支は財やサービスの輸出入、観光収入、投資収益の受払いなどを含む対外取引の収支を示す指標だと説明する。黒字は海外からの収入が支出を上回る状態、赤字は支出が収入を上回る状態を意味する。赤字が長期間続けば通貨への信認の低下につながる可能性があり、1997年の危機前には経常収支赤字がGDPの約8%に達していたと振り返った。
 ドーン氏は、4月の経常収支赤字が76億㌦に達したことは確かに注目すべき数字だとしながらも、過度に悲観的になる必要はないと強調した。赤字額は2013年4月の過去最高だった41億㌦をほぼ倍増する規模となり、年初3か月間の黒字を打ち消して1~4月累計では44億㌦の赤字に転じた。また、経常収支赤字と財政赤字が同時に発生する「双子の赤字(ツイン・ディフィシット)」の状態に4年ぶりに戻った。
 しかし、今回の過去最大の赤字は、新たな経済リスクの表面化を意味するものではないという。
 4月の赤字の大半を占めたのがエネルギー輸入による赤字で、74億㌦に達した。中東情勢の緊迫化に伴う原油・天然ガス価格の上昇に加え、政府が石油備蓄を大幅に積み増したことが赤字の主因だ。
 タイ政府の石油備蓄日数は従来の約60日分から現在は110日超へ拡大している。ドーン氏は、現時点で備蓄量は十分な水準に達しており、今後さらに大規模な積み増しが行なわれる可能性は低いとの見方を示した。そのため、今後のエネルギー輸入による赤字は備蓄要因ではなく、主として国際エネルギー価格の動向に左右されることになると説明した。
 中銀の最新の経済見通しでは、中東情勢は年後半にかけて徐々に緩和へ向かうと想定している。これに伴いエネルギー価格も低下し、エネルギー輸入による赤字幅も縮小する見込みだ。その結果、通年の経常収支はおおむね均衡、もしくはGDP比1%未満の小幅な赤字にとどまると予想しており、1997年の通貨危機前の状況とは大きく異なるとした。
 ただし、タイがかつてのような大幅な経常収支黒字を計上する時代は終わりつつあるとの見方も示した。その背景として、中東戦争初期にエネルギー生産インフラが被害を受けたことで、エネルギー価格が戦争前の水準を長期間上回る可能性があることを挙げた。また、データセンターへの投資ブームに伴い、機械設備や関連機器の輸入が増加する見通しにあることも要因の一つとして指摘した。
 ドーン氏は、経常収支の赤字自体が必ずしも悪いわけではなく、逆に黒字であれば常によいというものでもないと指摘した。重要なのは、赤字や黒字がどのような要因によって生じているかであり、特に消費と投資のどちらが背景にあるのかを見極める必要があると説明した。
 タイは近年、新型コロナ禍による観光収入の落ち込み期を除けば、高水準の経常収支黒字を維持してきた。しかし、その黒字はバーツ高圧力を強め、輸出競争力を低下させたほか、米国の為替操作国の監視基準にも抵触する要因となった。米国は経常収支黒字がGDP比3%を超える国を注視しており、その結果、中銀の為替管理にも一定の制約が生じていた。
 さらにドーン氏は、これまでの経常収支黒字は、人口構造の変化に加え、国内投資が不足していたことを反映している面もあると指摘した。投資不足はタイ経済の潜在成長率の低下を招いた要因の一つで、その意味では過去の高水準の黒字を手放しで評価すべきではないと述べた。
 経常収支の赤字は消費の拡大によっても、投資の増加によっても生じる。過度な消費による赤字は望ましくないが、投資拡大に伴う赤字であれば、その投資の内容を詳しく分析する必要があるとした。
 ドーン氏は、かつてタイが「アジアの第5の虎」と呼ばれた高度成長期を振り返り、当時は将来の成長力を高めるため、東部臨海工業地帯(イースタンシーボード)開発への大規模投資が進められ、その結果として経常収支赤字が長期間続いていたと指摘した。当時の赤字は将来の所得創出能力を高めるための投資に伴うもので、むしろ前向きに評価されていたという。
 また、1994年のメキシコ通貨危機との比較においても、タイは投資主導の赤字で、過剰消費による赤字ではないことを根拠に、自国は同様の危機には陥らないと説明していたと振り返った。
 1997年の通貨危機につながった最大の問題は、その後の投資の中身を十分に見極めなかったことにあったと指摘した。投資の多くが不動産分野に集中し、国の競争力の向上や生産性向上に結びつかなかったことが危機の一因になったとの認識を示した。
 今回、経常収支黒字が縮小したり、一時的に赤字へ転じたりしても、それが国の競争力向上につながる投資拡大によるものであれば問題ではなく、むしろ歓迎すべきことだと述べた。一方で、全く懸念がないわけではないことも強調している。中銀が示している見方は将来的にエネルギー価格が低下するとの前提に立っているため、仮にエネルギー価格の高止まりが続けば、タイはエネルギー消費に起因する経常収支赤字を継続的に抱える可能性があると警告した。
 ドーン氏は、近年中国との貿易赤字が拡大していることにも言及した。輸入品が再輸出向け原材料や部品であれば経常収支への影響は限定的だが、国内消費向け輸入の増加については懸念を示した。特に低価格の中国製品がタイ国内市場で中小企業(SME)と競合する状況が続けば、タイ経済の将来にとって大きな課題になる。
 ドーン氏は、冒頭で提起した「タイはインドネシアのような通貨危機に直面するのか」という問いに改めて言及した。タイとインドネシアでは経済の置かれた状況が大きく異なると指摘した。インドネシアは財政面など一部のマクロ経済指標ではタイより良好に見えるものの、その内実には市場が懸念する構造的リスクが数多く存在すると説明した。
 国有企業の債務増加に加え、新設された政府系ファンド「ダナンタラ」を巡るガバナンスや透明性への懸念が市場で根強い。こうした状況にエネルギー危機に伴う経常収支赤字が重なり、短期資本への依存度が高いインドネシアから資金流出が発生した。インドネシアの外貨準備高はタイと比べて大幅に少なく、ショックに対する緩衝材が限定的なことも弱点と分析した。そのため、タイが短期的にインドネシアのような通貨危機に陥る可能性は極めて低いと強調した。
 その一方で、タイが直面している本当の課題は為替危機ではないと指摘した。重要なのは、競争力が低下しつつある経済構造をいかに改革し、成長力を回復させるかにあるとし、「今のタイに必要なのは通貨防衛ではなく、経済構造の改革だ」と締めくくった。

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